心の山頂へのアタック~今日も山を歩く
山の上で今まで見たことのない素晴らしい景色に出会った時、人は言葉を失う。そう、言葉、つまり思考を失うのである。その時、目の前のあるがままの自然の姿に心を奪われ、時が経つのを忘れる一瞬がある。だがしかし、いつの間にか自我である〈私〉が出てきて、綺麗な景色だ!忘れたくない!写真を撮ろうなどと言う。もうこうなると次から次へと思考が働き、あの時出会ったあるがままの自然は過去のものとなり、二度と出会うことは出来ない。
思考が止まる時、それは過去の記憶、経験をとてつもなく上回るような全く新しい体験に出会う時、その瞬間は左脳の思考回路がオーバーシュートして右脳の感覚回路が活性化するのだろうか?
そんな体験を今は大切にしたい。
懸命に山を歩いていると、疲れた身体とは裏腹に頭の中は鳥の声や風の音、川のせせらぎが聞こえてきて心が澄みきってくる瞬間がある。ところが直に歩くリズムに合わせて音楽がリフレインされ、頭の中はメロディーで一杯になる。今度はそのリフレインに合わせて歩を進めていると何時しか身体を休めたくなる。ふと切り株に腰掛け、大きく深呼吸をすると音楽は止み、いつの間にか深い静寂と目の前の森の中に一人佇んでいた。ほんの少しだけ、思考は止まっていたのだろう。
こんな思考が止まる経験を、体験を重ねて行くことが今のところ自分に出来る精一杯だ。
クリシュナムルティ「瞑想」より抜粋
瞑想は
目的にいたるための手段ではありません
瞑想には
どんな目的もなく
どんな到達点もありません
瞑想は
時間の中にあってもおこり
時間の外にあってもおこります
瞑想の方式や方法というのは
どんなものでも
思考を時間に縛りつけてしまいます
そうではなく
思考や感情のすべてに
なんら選ぶことなく気づき
それらを動かす原因や その仕組みを理解し
それらが花ひらくままにしておくことこそ
瞑想のはじまりです
思考と感情が よく育ち そして死んでいくとき
瞑想は 時間を越えた動きになります
この動きのなかには
エクスタシーがあります
完全なる虚空のなかに
愛があります
そして愛とともに
破壊と創造があるのです
#六甲山 #縦走路 #みよし観音 #心の登山
#六甲山 #縦走路 #雨粒 #初夏 #心の登山
<目次>
~日常の風景~
~エニアグラムという心の登山地図~
~エニアグラム基本タイプ診断~
~エニアグラム発達の諸段階~
~エニアグラムの統合と分裂の方向~
~心的エネルギー~
~影(シャドー)と仮面(ペルソナ)~
~発達の諸段階1~3を時間をかけて登る~
~エニアグラムのタイプの頂を縦走する~
山頂 空へ〜心の山頂からさらに上へ
その先にあるもの